| 2006年9月9日(土)読了 |
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作品情報
| タイトル |
きみは誤解している |
| 著者 |
佐藤正午 |
| シリーズ |
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| 初刊出版社 |
岩波書店 |
| レーベル |
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| 初刊発行日 |
2000年5月18日 |
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書籍情報
| 出版社 |
集英社 |
| レーベル |
集英社文庫 さ-15-11 |
| 判型/ページ数 |
文庫判/304ページ |
| 初版発行日 |
2003年10月25日 |
| 版数 |
初版 第1刷 |
| 発行日 |
2003年10月25日 |
| 定価(本体) |
571円 |
| 購入日 |
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私はギャンブルは全くしない男です。競馬、競輪、競艇、パチンコ、麻雀、すべてやりません。人と勝ち負けのつくゲームやスポーツもあまりやりません。そういうことが嫌いかというとそうでもないのですが、私は人に負けると悔しくてしょうがないのです。だから負けるとカッカするし、しかもそれをウジウジとああすればよかった、こうすればよかったと引きずってしまいます。そういう情けない自分を何度も見るにつけ、私はギャンブルや勝負事は向いていないと悟ったわけです。
この作品は、競輪を題材とした六つの短編集です。
佐藤正午の描く登場人物は、個性のある魅力的な人物が多いです。話の流れもテンポがよくてすぐにその物語に入り込むことができます。
競輪というギャンブルを通して登場人物のタイプの違いから、人生をどう生きるか、どう捉えるかを考えさせてくれます。考え方によっては、進学も就職も結婚もギャンブルに近いですから、自分がどういう考えでどういう物差しで、その選択を選ぶかの参考にもなるかも知れません。
競輪にはまっている主人公はほとんど男ですが、「遠くへ」と「うんと言ってくれ」の主人公は女性です。「人間の屑」にも脇役として女性が登場します。男達がいろんなタイプで描かれているのに対して、女性ギャンブラー達は、外は静かで内は強い、という似たタイプで描かれています。取り乱したり感情的になったりするというところがなくて、男達よりもずっと冷静でかっこいいギャンブラーです。淡々とした中にも暖かな語り口、自分の考えを持つ芯の強さ、人よりも長けた才能、かすかな寂しさ・孤独さ、私が知っているある女性にも似ていて、親しみや懐かしさも感じてしまいます。
ギャンブラーの心はわからない私ですが、人生と置き換えて読めばなかなか奥が深いものがあります。登場人物の魅力と人生模様、そして佐藤正午の切れ味の良い文章で充分楽しめると思います。
「きみは誤解している」
婚約者から、「自分のことを僕って呼ぶ人間がギャンブラーになんかなれるわけない」と言われて、競輪に賭ける夢を否定されながらも、自分の理屈をもって婚約者よりも競輪を選んでしまうというJR駅員の男の話。この男が世の中の男に多いタイプの男でしょう、たぶん。コツコツと勤め上げればそれなりの将来や未来があるにもかかわらず、ギャンブラーとしての才が特にあるわけでもなく大きな夢を見てしまう哀しい男の姿があります。こういう男は生き方を勘違いをしているのですが、それを自覚していなくて、女に何を言われても「きみは誤解している」という言い訳しかできないのです。こういう勘違いは人生いたるところにあります。でも、つい言ってしまうのですよね、「きみは誤解している」って。
「遠くへ」
同棲していた男に影響を受けて競輪にはまってしまった30代女性の話を、その女性と競輪場で知り合った作家の言葉で綴られています。女性は、自分が競輪を知っていくにつれてギャンブラーとしての考えを確立していくのですが、そのうちに自分の考えと違う男の競輪に対するギャンブラーとしての姿勢に疑問を持ちはじめます。そんな時に、競輪場で偶然会った初老の男に、「ギャンブラーは友達になれない。ギャンブラーはその金を奪いあうのだ。勝っても負けても独りぼっちだ」と自分が感じていたことを言葉で言われて、ギャンブラーとして生きること決心します。ギャンブラーの道を歩むということは、普通の世界から「遠くへ」行く(来てしまう)ことになるのでしょうね。プロならば、どの道でも同じなのかもしれません。
「この退屈な人生」
ずっと一人ぼっちで育ってきた男が、高校の時、進路相談での担任への反発から自衛隊に行き、その後「沈み込み」の時期を繰り返しながら仕事もせずに暮らしているという話。最初は情けない男のように思わせているのですが、幼馴染の男と知り合い、その男の要求のままお金をためらうことなく貸すというところから、この男の「すごさ」が見えてきます。その「すごさ」とは、この男は競輪で生計をたてているのですが、「自分が賭けたレースは絶対にはずさない」ということを冷静沈着に「機を待つ」ということで実現していることです。しかし、「絶対にはずさない」ということは、つまり結果がわかっていることと同等ということでもあります。そういう人生は楽しいのか退屈なのか。やっぱりギャンブルは泣き笑いがあってこそ楽しいものなのかも知れません。
「女房はくれてやる」
元暴走族で今は小さな鮨屋の主人、10歳年下の女房をもらって幸せのはずなのですが、女房や「ギャンブルは人生を狂わす」と口うるさい師である鮨屋の大将に隠れて競輪を楽しんでいたことから人生が狂っていきます。女房の兄の葬儀の日に競輪に行っていたというのがきっかけで、夫婦の仲は崩れていき、挙句の果てに女房は年下の競輪選手と一緒になってしまいます。どうしようもない人間のどうしようもない結末かと思ったのですが、この男は競輪が好きというだけで、人間としては憎めない人物として最後は描かれています。しかも、最後にこの男が言う「ギャンブル以前に人生なんてもともと狂っている」という台詞は案外説得力があったりします。
「うんと言ってくれ」
競輪選手の妻となった(後に離婚するが)姉を持つ女子高校生が、「ギャンブル感覚の優れた人間」ということを自覚し、競輪でその才能を発揮していく中で、知り合った男のためにその才能を使うという話。この女子高生は、落ち着き払い悟っているところがとても高校生とは思えないところがあります。しかし、その中で義兄を陰で励ましたり、好きな男のために頼まれたことは「うんと言おう」と考えたり、けなげでかわいいところもあります。エンディングは男に裏切られた妹を思う元義兄の競輪選手との会話でほんわかと終わるのかと思ったら、やはり女は強かでした。
「人間の屑」
今までの登場人物と違って、競輪を楽しんでいても車券は買わない(お金は賭けない)という男が主人公です。ギャンブルは派手にお金をつぎ込むことが度胸があって男らしいという考えに対して、この男は「所詮、競輪で勝った金は残らない。結果的に残るのは車券を買わずに取っておいた金だけだ」という、経験からたどり着いた堅実な考えを持っています。それに対比する人間として、派手に人の金までも競輪につぎ込んでいく兄が登場します。そういう兄に惹かれて男から去っていったかつての恋人から、兄が勝手に持っていったお金を取り戻して欲しいと頼まれたことから、男と兄が競輪場でそれぞれの考え方をぶつけあうことになります。客観的に見ると兄の生き方が当然「人間の屑」なのですが、物語の中では、兄が弟に言う言葉となっています。それだけどちらが「屑」かどうかなんてわからないということです。イチかバチかで勝負をする人間が「屑」なのか、負けた人間が「屑」なのか、勝負を避ける人間が「屑」なのか、その反対が「屑」でないのか。そんなことは誰にもわかりませんし、そんな単純なものでもありません。 |
上記はあくまで私の主観です。あとで自分がその時にどう思ったかを忘れないための記録であり、作品の評価ではありません。
また、ネタバレの記述もありますので、ご注意ください。 |
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