2006年9月28日(木)読了
作品情報
タイトル 東京タワー
  オカンとボクと、時々、オトン
著者 リリー・フランキー
シリーズ
初刊出版社 扶桑社
レーベル
初刊発行日 2005年6月30日
書籍情報
出版社 扶桑社
レーベル
判型/ページ数 四六判/449ページ
初版発行日 2005年6月30日
版数 初版 第32刷
発行日 2006年9月10日
定価(本体) 1,500円
購入日
「東京タワー」といえば、私が大好きな黒木瞳が主役だったあの不倫映画を思い出します。直木賞作家である江國香織が2001年に出した、若者と人妻のラブストーリです。同じ「東京タワー」ですが、今回の作品は昨年から話題になっている、「オカンとボクと、時々、オトン」という副題のついた、作者と母親の"ラブストーリ"です。本の装丁は、カバーは白地に赤い字と上下に金の帯、本体は真っ赤なハードカバーという、清潔な中に華やかな自己主張を持ったものとなっています。

作者であるリリー・フランキーは、「日本美女選別家協会会長」とか、「AV OPEN-あなたが決める!セルアダルトビデオ日本一決定戦名誉総裁」とかの肩書きを持っていたり、「水10!ココリコミラクルタイプ」に出演していたりといった、どちらかというと軽いノリのオジサマでして、この作品の「ボク」とのイメージではないらしいです。そのあたりはあまり詳しくないので言及することは控えます。

この作品も江國「東京タワー」同様映像化されています。映画ではなくフジテレビ系のドラマですが、一時は7月に放送予定のものでした。しかし、出演者である極楽とんぼ山本圭一の例の不祥事によって放送はされませんでした。その後、代役による撮り直しがなされて、ようやく11月に放送されるようになったようです。主演の「ボク」は、作者と風貌が似ている(?)私の好きな大泉洋が演じるということで、そういう意味でも大変楽しみにしています。来年は映画化も予定されているそうなので、原作、ドラマ、映画の比較を楽しみにして、それぞれの魅力を見つけたいと思っています。

2006年の本屋大賞に選ばれており、「泣き顔を見られたくなければ電車で読むのは危険」と言われたほど泣ける作品として話題になっています。ただ、この作品を読んで泣けるかどうか、「ボク」に共感できるかどうかは、読者のいろんな立場や環境で変わってくるでしょう。リリー・フランキーについての先入観の有無、地方在住者か東京在住者か、親子関係の違い、そういうファクターで読む人の思いは違うと思います。

私の場合は、淡々と母親を語る文章が作者の母親に対する深い愛情や思いが感じられて、その思いが自分の親に対する思いと重なり、完全に作者の思う壺で(なのかどうかわかりませんが)、「オカン」が亡くなる少し前から、しっかりと涙と鼻水が止まらなくなってしまいました。単純な私らしい反応です。

物語は、9章から成り立っており、タイトルはついていませんが、

 T 〜小学1年生 【小倉〜筑豊】
 U 〜小学6年生 【筑豊】
 V 〜中学3年生 【筑豊】
 W 〜高校3年生 【別府】
 X 〜大学5年生 【東京】
 Y オカン甲状腺ガン手術〜オカン上京 【東京】
 Z 〜オカン胃ガン 【東京】
 [ 〜オカン危篤 【東京】
 \ オカンの死〜 【東京】

といった内容になっています。
「ボク」と「オカン」は母子家庭同然で、ふたりで同居している時間が多いのですが、WからYの高校〜大学〜職を転々の間は、「ボク」と「オカン」が離れて暮らす期間となっています。ただ、その時でも、物語は「ボク」と「オカン」のことが中心となって流れて行きます。酒乱でマイペースの「オトン」はTの段階で、「ボク」と「オカン」と別居しています。その理由は最後に「オトン」から語られることになります。

各章のオープニング(\は最後)は、テーマらしき内容を客観的に綴ったあとで、「五月にある人は言った」という言葉でまとめられています。この「五月のある人」って誰?と気になってしまいますが、読み終えると、これは無理に詮索すべきことではないことなのだなと思います。単純に「ある誰か」と読んでもいいし、「オカン」の言葉と思ってもいいし、彼女だと思ってもいいし、「東京タワー」だと思ってもいいのではないでしょうか。

そのオープニングの内容でわかるのですが、作者は東京について特別の思いがあるようです。その思いや憧れや怖さは、私も地方に住むせいか大きな違和感があるものではありません。人が引き寄せられる東京、人を引き寄せる魅力を持つ東京、その集まった人たちを弾き飛ばし、吸い込む東京。「ボク」は何をしたいということもなく、そういう東京へ出たいと考えます。私もそういう時期がありました。東京へ行けば何か華やかなものがある、そう思って東京で暮らしてみたいと。

「ボク」は大学生活を機会に、そういう東京での暮らしを始めます。卒業後も東京という場所でぐるぐるぐると東京の風に吹かれながら、居場所をだんだんと見つけていきます。ようやくささやかで落ち着ける居場所を見つけた「ボク」は、故郷で居場所のなくなってしまっている「オカン」を東京に迎え入れます。15年ぶりに今度は東京で母子の同居が始まります。その東京の中心であり、憧れの中心が東京タワー。その東京タワーが見える場所で、「ボク」は大切な「オカン」をみおくることになります。そういうかかわりと東京の象徴が、「東京タワー」というタイトルになっているのでしょう。

「ボク」が通常の人間と違うと思うところは、世間の価値観や評価に惑わされることなく、社会との関係、母親との関係を保つことができているということです。これは簡単そうでですが、なかなかできることではありません。「ボク」のように生きることができれば楽なのにと思ってしまいます。ついつい、人のいう事、世間の常識、恥ずかしさなんかを理由に、人は心のまま生きることを避けているところもあるような気がします。

「オカン」もまた稀有な母親です。「自分が恥をかくのはいいが、他人に恥をかかせてはいけない」という躾は、頭を殴られたような気分になるくらいはっとさせてくれる考え方です。私が自分の子供にする躾を振り返り見てみると、自分が恥をかかないようにとか、世間体を気にしたものになってしまっています。他人に恥をかかせない配慮、気配り、これも簡単そうですが、ななかなできることではありません。理想的な母親像です。

そういう部分だけでも、「ボク」と「オカン」は魅力的な登場人物で、さらに読み進めたいという大きな力になっています。「ボク」と「オカン」を表面的なマザコンの親子関係でとらえると、この作品から得ることができる大切なことが見えなくなります。脇役扱いされている「オトン」もまた個性的な父親で、「ボク」と「オカン」との関係の中でどういう役割をはたしていくのか興味を持たせてくれます。もし、「ボク」や「オカン」という登場人物の性格や行動に疑問を持ってしまったならば、この作品を最後まで読み終えることは苦痛になるかも知れません。

親子というのは、責任や期待から「こうあるべき」という枠にはまってしまって、自分の本当の姿を出しきれていない部分が多くあります。親は子供の本当の姿を知らない、子供は親の本当の姿を知らない。そういう部分で結果的に悲しい親子関係になっているケースも少なくはないと思います。私の親との関係も少なからずそういう部分があります。

この作品を読んで、自分の親に対する考え方も少し見直さなくてはいけないと思わされます。そういう思いが積もり積もって、「オカン」が亡くなる場面になると一気に涙が溢れてとまらなくなってしまいます。読者を泣かそうという意図的な表現が目立つ文章ではないのですが、事実だけを淡々と述べていく文章表現が逆に母親への思いを強く感じてしまします。

この作品を単なる作者の母親への追悼歌としてとらえるのではなく、親に対する付き合い方を見つめ直すということでとらえるならば、その目的は充分果たしている作品だと思います。この作品を読んで涙した人は、きっと親に対する思いが何らかあって、読み終えた時にはその思いに何らかの変化があったのではないでしょうか。


もっともっと、親を知らないといけないですね。
もっともっと、親と話をしないといけないですね。
同じように、子供とも。


「オカン」の日記に挟まれていた一枚の紙切れの文章。

  母親というのは無欲なものです。
  (中略)
  母親というものは
  実に本当に無欲なものです。
  だから母親を泣かすのは
  この世で一番いけないことなのです。

心にとても痛いです。


世の中の母親たちは、「オカン」の気持ちはわかるのでしょうか?
世の中の子供たちは、「ボク」の母親を思う気持ちをみとめるのでしょうか?
世の中の人々は、「オカン」と「ボク」を素敵な母親と息子と感じるのでしょうか?

まだ間に合う人たち、手遅れでない人たちは、ぜひこの本を読んで欲しいと思います。
後悔しないように、理解しあうために。
上記はあくまで私の主観です。あとで自分がその時にどう思ったかを忘れないための記録であり、作品の評価ではありません。
また、ネタバレの記述もありますので、ご注意ください。